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鹿児島地方裁判所 昭和47年(行ウ)5号 判決 1975年12月19日

原告 田辺としえ

原告 酒匂幸子

右原告両名訴訟代理人弁護士 高森浩

同 井上正治

被告 鹿児島市交通事業管理者 隅田一郎

右訴訟代理人弁護士 保澤末良

主文

一、被告が昭和四七年五月二〇日付でなした原告田辺としえに対する解雇処分および原告酒匂幸子に対する懲戒免職処分を、いずれも取消す。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告ら

主文と同旨の判決。

二、被告

(一)  原告らの各請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二、当事者の主張

一、請求原因

(一)  原告田辺は昭和四五年七月一日から、原告酒匂(旧姓川ノ上)は昭和四六年四月一日から鹿児島市交通局(以下「市交通局」という)自動車々掌(ガイド)として勤務していた職員であり、被告は市交通局の管理者であって、原告らの任免権者である。

(二)  被告は昭和四七年五月二〇日付をもって、地方公営企業労働関係法(以下「地公労法」という)第一一条第一項、第一二条に基づき原告田辺を解雇処分(以下「本件解雇処分」という)に、地方公務員法(以下「地公法」という)第二九条第一項第二号に基づき原告酒匂を懲戒免職処分(以下「本件懲戒免職処分」という)にそれぞれ付した。

(三)  しかし、原告らには本件解雇および懲戒免職処分に該当する事由はなく、被告のなした右各処分は違法であるから、その取消を求める。

二、請求原因に対する被告の答弁

請求原因(一)および(二)の事実は認める。

三、被告の抗弁

原告らには、次のような処分理由がある。

(一)  原告田辺に対する本件解雇処分

1 原告田辺は、昭和四七年四月六日および同月一二日ガイド班会なるものを主宰し、怠業的違法な行為を企て、「ひまわり旅の友の会」の四国コースおよび南紀コースに乗務しないことを決定させ、その遂行をそそのかし且つあおった。

2 さらに原告田辺は、同月一五日午後四時三〇分ころ、市交通局営業課長訴外新村満男がガイドの訴外野村純子に対し、同月一八日から二三日までの「ひまわり旅の友の会」の南紀コースに乗務するよう話していた席にガイド七、八名と共に入って来て、新村営業課長の制止にもかかわらず野村を連れ去り、右営業課長の職務を妨害した。

原告田辺の右1および2の行為は、地公労法第一一条第一項に該当する。

(二)  原告酒匂に対する本件懲戒免職処分の処分理由

原告酒匂は、昭和四七年四月一四日から同月一八日までの「ひまわり旅の友の会」の四国コースに乗務するよう職務命令を受けた(以下「本件職務命令」という)にもかかわらず、右命令を拒否して乗務しなかった。

原告酒匂の右行為は、地公法第二九条第一項第二号に該当する。

三、抗弁に対する原告らの答弁

(一)  抗弁(一)の1の事実は否認する。昭和四七年四月六日、同月一二日のガイド班会を召集しその司会を担当したのは、班長の訴外佐々木良子である。原告田辺は同月一二日開かれたガイド班会で病気入院中の佐々木の代理に指名されたに過ぎず、同原告がガイド班会を主宰したことはない。

また四月一二日のガイド班会において、市交通局職員をもって組織する鹿児島交通労働組合(以下「鹿交通労組」若しくは「労組」という)執行部に対し、市交通局が強行しようとしている事前研修なしの四国、南紀コースの乗務は、ガイドの合理化、労働強化となるからこれを中止させるよう市交通局との交渉を要望する旨の決議がなされ、その際原告田辺は、右決議事項を提案し労組執行部に対する要望書を作成したが、右決議はガイド二〇名中同日出席した一九名全員の賛成によってなされたものであり、同原告が怠業的違法な行為を企て、「ひまわり旅の友の会」の四国コースおよび南紀コースについて乗務しないことを決定させ、その遂行をそそのかし且つあおったことはない。

(二)  抗弁(一)の2の事実のうち、原告田辺が被告主張の日時にガイド数名と一緒に営業課長室に赴き、新村営業課長に対し数名のガイドを代表して、研修を行わない四国、南紀コースの乗務は取止めてほしいとのガイド全員の要望がなされているにもかかわらず一方的にガイドを呼出して乗務を命ずることは不当である旨抗議したことは認めるが、その余の事実は否認する。野村は自己の意思で退席したものであり、同原告が野村を連れ去ったものではない。

(三)  抗弁(二)の事実のうち、原告酒匂に対し本件職務命令がなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。

四、原告らの再抗弁

(一)  本件解雇処分の違法性

1 地公労法第一一条第一項の違憲性

地公労法第一一条第一項は、地方公営企業の職員の争議行為を一律且つ全面的に禁止しているから、勤労者の団体行動権を保障した憲法第二八条に違反し無効である。したがって、原告田辺の行為が右地公労法の規定に触れたとしても、何ら違法ではない。

2 解雇権の濫用

仮に地公労法第一一条第一項が合憲であるとしても、市交通局が研修なしの四国、南紀コースの乗務を強行しようとしたので、原告田辺は労組の正式の機関であるガイド班会の決定に基づき、他のガイドと協力して現場のガイドの止むに止まれぬ当然の要求として行動したものであり、且つ一般市民に対しては直接何らの実害も及ぼしていない。したがって、本件解雇処分は被告に与えられた合理的な裁量権の範囲を著しく逸脱するもので、違法である。

(二)  本件懲戒免職処分の違法性

1 本件職務命令の撤回

原告酒匂は昭和四七年四月七日ころ市交通局係員に対し、ガイド班会の決定にしたがい四国乗務はできない旨伝えたところ、市交通局は同月一四日の数日前に訴外古野ガイドに、同月一三日訴外吉満ガイドにそれぞれ四国行きを命じ、原告酒匂に対する本件職務命令を事実上撤回した。したがって、同原告には職務命令違反の事実はない。

2 本件職務命令の不当性

仮に右職務命令撤回の事実が認められないとしても、本件職務命令は事前の研修なしで四国コースの乗務を命じている点で従来の労使慣行を無視したものであり、且つ研修なしの乗務はガイドに対し必要以上の労働強化を強いるものであるから、本件職務命令は正当な職務命令の範囲を逸脱した不当なものであり、原告酒匂が右命令に従わなかったからといって、職務上の義務に違反し、あるいは職務を怠ったことにはならない。

3 懲戒免職権の濫用

市交通局は、労組の正式の機関であるガイド班会の、「四国、南紀コースの乗務については事前に研修をやってほしい」との度重なる要望を無視して本件職務命令を発したものである。一方、原告酒匂はガイド班会の決定の趣旨に従って乗務を拒否したものであり、市交通局に対しては予め欠勤する旨を届出て市交通局は正式にこれを受理しており、且つ昭和四七年四月一四日から一八日までの「ひまわり旅の友の会」の四国コース旅行は古野ガイドが乗務して支障なく実施され、何ら一般市民に対して実害を及ぼしていない。したがって、本件懲戒免職処分は合理的な裁量の範囲を著しく逸脱した違法なものというべきである。

五、再抗弁に対する被告の答弁

(一)  再抗弁(一)の1の主張は争う。

(二)  同(一)の2の事実は否認する。

(三)  同(二)の1の事実は否認する。

(四)  1 同(二)の2の事実は否認する。

2 「ひまわり旅の友の会」の旅行には、ガイドのほかに添乗員が同乗して案内の助言等を行い、且つ四国、南紀コースの主な観光地では地元の専任ガイドが案内をしており、また観光コースの設定に際しては事前に調査を行ない無理な行程にならないよう配慮しているから、本件職務命令は何ら労働強化を強いるものではない。

3 労組と被告との間で昭和四二年三月一三日行われた団体交渉の席で、ガイドの研修に関し、次のような確認がなされた。

(1) 九州管内(山口を含む)以外(四国、南紀、山陰等)は、九州管内の現地研修をおえた者の中から乗務させる。

(2) 九州管外については、現地研修は行なわない。

(3) 「ひまわり旅の友の会」の旅行の場合には添乗員が同乗するので、ガイドは添乗員の助言等を得ながら、自主研修した範囲内で案内や車内サービスに努める。

右の確認事項に基づき、昭和四二年七月一八日「ひまわり旅の友の会」の第一回四国コースが実施され、以後右確認事項が労使慣行となっているものである。したがって、本件職務命令に何ら不当な点はない。

(五)  同(二)の3の事実は否認する。原告酒匂から市交通局係員に対し昭和四七年四月一三日、翌一四日は欠勤する旨の電話があり、その際同係員は右欠勤は認められない旨返事したにもかかわらず、同原告が同月一四日欠勤したため、出勤簿の処理上届出欠勤と記載したに過ぎず、市交通局において予め同原告の右欠勤を了承していたものではない。

第三、証拠関係≪省略≫

理由

一、請求原因(一)および(二)の事実については、当事者間に争いがない。

二、市交通局における従来の貸切バスの運行およびガイドの研修について

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  市交通局は従来観光事業として、鹿児島市内定期観光バスおよび貸切バスの運行をしてきた。市交通局は昭和三七年ころ旅行業法に基づく旅行業者としての登録をなし、旅客に対する旅行の斡旋等の業務を営むことができるようになり、昭和三八年ころ貸切バスによる観光旅行を目的とした会員制の旅行組織である「ひまわり旅の友の会」を設けたため、そのころから貸切バス利用客が次第に増加するようになった。右貸切バスの運行は昭和四一年ころまではほぼ九州管内に限られていたが、九州管外の観光コースを希望する客も次第に増加し、昭和四二年ころから「ひまわり旅の友の会」の旅行にも四国コースが設けられるようになった。当時の四国コースは、バスで鹿児島から陸路伝いに宮崎を経て別府若しくは臼杵まで行き、同地から船で四国の八幡浜に渡るコースであった。

2  市交通局におけるガイドの研修は、鹿児島県外については昭和三八年ころまではほとんど行われていなかったが、右1のとおりそのころから次第に貸切バスによる県外コースの利用客も増加して来たので、ガイドに対する研修も次第に充実されるようになった。

原告らが採用された昭和四五、六年当時のガイドの研修は、次のように行われていた。即ち、研修のやり方には机上研修と現地研修とがあり、机上研修は先輩ガイドの指導の下にガイド室で主としてガイド用の説明文体で記載されたテキストの読み合わせを行うものであり、現地研修は机上研修を終えた後先輩ガイドの指導の下にバスに乗車して現地を直接見聞して案内の仕方等を学ぶものである。ガイドとして採用されると直ちに約一ヵ月間市内定期観光コースの机上および現地研修を受け、採用後二、三ヵ月後には指宿および霧島コースの(同コースの現地研修は各二回)、半年後に桜島、南薩、北薩コースの、一〇ヵ月後位に宮崎方面の、二年目の初期に九州西部および東部コースの(同コースについては各一回宛現地研修が行われるほか、さらに西部か東部のいずれか一つのコースにつき一回乗客を乗せたバスに先輩ガイドが同乗して指導が行われる)、それぞれ机上および現地研修が行われ、さらに毎年実施されるわけではないが山口コースの机上および現地研修も実施されていた。なお、昭和四五年七月には山陰、山陽コースの現地研修も行われたが、これは偶々山口研修の機会を利用して市交通局係員が山陰、山陽コースの道路事情を視察する必要があって、そのついでに右コースについてのガイドの研修がなされたものであった。

3  「ひまわり旅の友の会」の旅行コースとして昭和四二年から始められた四国コースは、昭和四二年度(各年度は四月一日から翌年三月三一日まで)三回(運行車両台数合計六台)、昭和四四年度三回(運行車両台数合計四台)、昭和四五年度二回(運行車両台数合計三台)、昭和四六年度二回(運行車両台数二台)実施され、山陰コースが昭和四四年度一回(運行車両台数一台)、昭和四五年度一回(運行車両台数二台)、昭和四六年度二回(運行車両台数二台)、萩コースが昭和四六年度一回(運行車両台数一台)実施され、さらに九州管外への一般貸切バスとして、昭和四二年度奈良に三回(運行車両台数三台)、昭和四三年度奈良に二回(運行車両台数二台)、昭和四四年度奈良に二回(運行車両台数五台)、昭和四六年度和歌山に一回(運行車両台数一台)が運行された。

4  右のように、一般貸切バスで奈良、和歌山方面に出かけることがあり、また昭和四二年度から「ひまわり旅の友の会」の四国コースが、昭和四四年度からは山陰コースが設けられたが、ガイドに対する研修は、前記2に記載の土地以外の四国、奈良、和歌山等については行われていなかった。もっとも一般貸切バスの場合は、ガイドが同乗しても目的地までの客の輸送が主で、途中の観光案内を要しない場合も多い。また、「ひまわり旅の友の会」の旅行の場合には、ガイドのほか男の添乗員が同乗しており、車内での名所旧蹟の案内についてもガイドが添乗員から助言を受ける場合もある。しかし、添乗員の主たる任務は、乗客の世話、接待、宿泊地での宴会の推進、旅行経費の精算等にあり、観光案内はガイドが担当することになっていた。

5  四国コースに乗務するガイドは、市交通局係員が従前の各ガイドの乗務回数等を考慮して九州管内の現地研修を終えた者の中から選んで乗務を命じていたが、昭和四六年までは比較的同コースの実施回数が少なかったため、比較的ベテランのガイドが乗務するのが通常であった。そして、乗務すべきガイドは、乗務予定日の一週間ないし一〇日位前に市交通局の黒板に掲示されて知らされていた。四国コースについては研修が行われていなかったため、乗務を命ぜられたガイドは自主的に勉強したうえ乗務をしなければならなかったが、昭和四七年三月当時四国コースの資料として市交通局に備えられていたものは、日程表、先輩ガイドの作成したコース図、市交通局において添乗員用に作成した四国観光地案内書、一般用の四国観光案内書のほか、市交通局研修係員が昭和四七年二月ころ私費で購入したレモン社からガイド用に出版されている四国のガイドブックが備えられ、乗務を命ぜられたガイドの必要に応じ右資料が貸出されていた。

三、本件処分に至るまでのガイドらの行動について

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  昭和四七年三月当時ガイドは市交通局の企業組織上は自動車課に所属し、鹿交通労組の組織としては自動車支部に所属していた。自動車支部には班が置かれ当時八班に分かれており、ガイドは観光バスの運転手とガイドで構成される観光班に属していた。そして、ガイドはガイドだけで集まりを持つ場合も多く(以下右ガイドの集まりを「ガイド班会」という)、ガイド班会には自動車支部長が出席することも多かったが、右班会は鹿交通労組規約上の組織ではなかった。その後昭和四七年四月一日からガイドは市交通局の組織上営業課に所属替えとなり、これに伴って労組の組織としては総経営支部に所属することになった。総経営支部に所属するようになってからもガイド班会は継続され、ガイド班会には総経営支部長が出席することもあった。

2  昭和四七年三月ころから鹿児島、高知、名古屋を結ぶ高速フェリー「サンフラワー号」が就航することになったため、そのころ市交通局では「ひまわり旅の友の会」の四国コースを従来の陸路伝いに別府若しくは臼杵まで行き同地から四国に渡るコースに代え、右サンフラワー号を利用して直接高知に渡る四泊五日のコースに改め、さらに新たに南紀コース(五泊六日)を設けることになった。このため従来よりも四国コースの客が増加することが予想され、しかも新たに南紀コースも新設されたため、必然的にガイドらの九州管外の乗務回数が増え、それにしたがって比較的経験年数の浅いガイドらも右コースに乗務せねばならなくなることが予想された。

3  サンフラワー号就航後最初の「ひまわり旅の友の会」の四国コースが昭和四七年三月二四日から同月二八日までの日程で実施されることになり、右ガイドとして訴外徳永泰子に乗務が命ぜられた。右徳永ガイドの乗務が決ってから、同年三月一七日ガイド班会が開かれたが、同班会では右2に認定のようにガイドの乗務回数の増加等が予想されたため、四国、南紀コースの研修問題が話題となり、ガイドらから同班会に出席していた訴外田中自動車支部長に対し、労組と市交通局との交渉により、四国、南紀コースの現地研修を行うことおよび当面研修が実施されるまでの対策として四国での案内につき現地のバス会社のガイドをチャーターすることの実現方を図ってほしいとの要望がなされた。

その後市交通局において、同年三月中に徳島交通に対しガイドのチャーターを要請したが、徳島交通では観光シーズンのため応じられないとの回答であった。

4  昭和四七年四月六日にもガイド班会が開かれ半数を超えるガイドが出席したが、同日の班会では、徳永ガイドから三月二四日から二八日までの四国コースの乗務の際、現地不案内のため色々苦労した旨の報告がなされた。同班会の際にはサンフラワー号就航後第二回目の「ひまわり旅の友の会」の四国コースが同年四月一四日から一八日までの日程で実施されることが既に判明しており、右ガイドとして原告酒匂に乗務命令がなされていた。右班会において、四国、南紀コースの現地研修が実現しなければ同コースのガイド乗務はしないようにしようとの話合がなされ、同班会に出席していた訴外山内総経営支部長に対し、四国、南紀コースの現地研修の実施および当面の現地ガイドのチャーターの実現に努力するよう、重ねて強く要望がなされた。

5  続いて同月一二日ガイド班会が開かれ同日の班会にはガイド二〇名中一九名が出席し、大要次のような四項目にわたる決議がなされた。

(1)  研修を行わないことを前提とした四国、南紀行きは拒否すること。

(2)  四国、南紀など路線の拡大は、ガイドへの労働強化となるので、「ひまわり旅の友の会」の四国、南紀行きは即時停止すること。

(3)  ガイドの正当な要求を業務命令によって弾圧するならば、これに対処するためしかるべき実力行使をも辞さないこと。

(4)  ガイド個人を呼びつけてガイド全員の決定と個人の意思を切り離し、ガイドの団結を破壊するような当局の行動に抗議し、今後絶対に許さないこと。

右のような決議がなされ、右決議は原告田辺において要望書として書面にまとめたうえ、労組執行部に届けられた。

6  一方鹿交通労組執行部は、昭和四七年四月上旬ころは鹿児島市議会議員の選挙応援に忙がしかったこともあり、右ガイドの研修問題への取り組みは未だ十分になされていなかったが、右問題についての事態が逼迫していることを知り、急遽同月一四日午前中市交通局から訴外神川総務課長、同新村営業課長、同東郷参事、労務係長が、労組から訴外横川委員長、山内総経営支部長、田中自動車支部長が出席して労使の話合がなされた。右話合の席では労組からの質問に応じ、従来のガイドの研修のやり方および九州管外コースについての従来のガイドの乗務についての説明がなされ、その結果横川委員長は当面差し迫っている同日夕刻からの原告酒匂の乗務については、同原告を説得することを約した。そして、さらに同日午後労組の申入れで、営業課長および営業係長とガイド七、八名との間で話合がもたれ、その席には労組委員長および総経営支部長も同席したが、右話合では格別の事態の進展はなかった。

四、原告田辺に対する処分理由について

(一)  ガイド班会の主宰の有無

1  ≪証拠省略≫によれば、ガイド班会には班長が置かれており、昭和四七年二月以降のガイド班会の班長は訴外佐々木良子であったが、同人が同年四月六日ころから病気で入院することになったため、総経営支部長の助言もあって、同月一二日のガイド班会で原告田辺が入院中の佐々木班長の役目を代行することが決められ、同時に佐々木が労組中央委員を兼ねていたので、労組に対し右中央委員についても原告田辺が代行する旨の手続がなされたことが認められる。

ところで、≪証拠省略≫中には、「佐々木は四月六日、同月一二日の班会を召集し、右いずれの班会にも出席した。」旨の供述がある。しかし、≪証拠省略≫によれば、佐々木は昭和四七年四月五日は届出欠勤、同月六日以降は療養休暇で勤務を休んでいることが認められ、右認定に反する証拠はない。右事実によれば、少くとも昭和四七年四月五日以降は佐々木が班会に出席していたとしても、班長としての実質的活動はほとんど不可能であったと推測される。

2  四月一二日の班会における前記三の5記載の決議事項を原告田辺が提案したことは同原告の自認するところであり、また前記認定のように同原告において右決議を要望書として書面にまとめて労組執行部に届けた。そして、≪証拠省略≫によれば、右要望書には、「総経営支部ガイド中央委員代理田辺としえ以下ガイド一同」との表示がなされていることが認められ、右認定に反する証拠はない。

3  ≪証拠省略≫によれば、前記三の6記載の四月一四日の営業課長、営業係長と労組委員長、総経営支部長およびガイドとの話合の席において、原告田辺は、「原告酒匂に対する四国コース乗務の職務命令の撤回を要求する。四国、南紀コースの研修についてのガイドの要望が実現されなければ、処分を受けても乗務を拒否する。」等研修問題につき積極的に発言し、同原告のほかには一、二名のガイドが直接右研修問題とは関係のない事項につき発言した程度に過ぎなかったことが認められ(る。)≪証拠判断省略≫

4  後記(二)に認定のとおり、昭和四七年四月一五日訴外野村純子ガイドを営業課長室から連れ出す際にも、原告田辺がもっとも積極的な役割を果した。

右1ないし4に認定の事実を総合すれば、四月六日および同月一二日のガイド班会において主導的役割を果していたのは原告田辺であると認めるのが相当であり、右認定を動かすに足りる証拠はない。

(二)  野村ガイドに対する営業課長の乗務説得を妨害した事実の有無

昭和四七年四月一五日午後四時過ぎ、新村営業課長が営業課長室に野村純子ガイドを呼んで同月一八日から二三日までの「ひまわり旅の友の会」の南紀コースに乗務するよう説得していた席に、原告田辺が七、八名のガイドとともに押しかけ、同原告が営業課長に対し、「研修を行わない四国、南紀コースの乗務は取止めてほしいとのガイド全員の要望がなされているにもかかわらず、一方的にガイドを呼出して乗務を命ずることは不当である。」旨抗議したことは、同原告の認めるところである。そして、≪証拠省略≫によれば、営業課長がガイドらに対して退室を求めたところ、原告田辺は、「野村さん行きましょう。」と言って椅子に腰掛けていた野村の背後から同女の肩を抱きかかえるようにして同女をその場に立たせ、同女とともに退室したことが認められる。≪証拠判断省略≫

(三)  右(一)、(二)に認定の原告田辺の行為は、地公労法第一一条第一項所定の「怠業その他の業務の正常な運営を阻害する行為を共謀し、そそのかし、あおった」行為に該当するものというべきである。

なお、原告田辺は右条項の違憲性を主張するが、当裁判所は他の点で本案を処理できる場合には憲法判断はしなくてもよいものと解する。

五、解雇権濫用について

(一)  地公労法第一二条は、「同法第一一条の規定に違反する行為をした職員を解雇することができる」旨規定している。しかし同条の趣旨は、右違反行為をした職員であっても一律に解雇されるべきであるというものではなく、解雇するかどうか、その他どのような措置をするかは、職員のした違反行為の態様、程度等に応じ、事業管理者の合理的な裁量に委ねる趣旨と解するのが相当である。そして、職員の身分保障に関する地公法第二七条、第二八条、第二九条の規定の趣旨に鑑みると、職員に対する不利益処分は必要な限度を超えない合理的な範囲にとどめなければならないものと解すべきである。

(二)  そこで、これを本件解雇についてみるに、≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  前記のように、市交通局では四国、南紀コースの机上および実地研修は実施しておらず、ガイドのための資料も九州管内に比べるときわめて乏しかった。ガイドが右のような研修を受けていないコースに初めて乗務する場合、市交通局備付の資料および個人的に収集した資料等で自主的に研修して行っても、資料で学んだことと現地との結びつきがつかみにくく、きわめて不十分な案内しかできない場合が多く、一方乗客はガイドが観光案内に通じていることを当然の前提として色々説明を求める場合が多いので、ガイドの気苦労が多かった。

2  ガイドの四国、南記コースについての本件現地研修の要望は右1のような事情に加え、前記三の2で認定のように、サンフラワー号の就航により乗務回数の増加等が予想されたため生じて来たものであり、右ガイドらの要望は四月六日の班会において、三月二四日から二八日までの四国コースに乗務した徳永ガイドの苦労話があって特に強いものになった。そして、本件ガイドらの要望が契機となって、市交通局においても原告両名に対する本件処分後間もなく、三年生以上のガイドに対しレモン社発行のガイドブックと添乗員用四国観光案内書を一部宛配布して貸与し、また乗務前二、三日間他の業務をはずして先輩ガイドの指導の下に、ガイドブックの読み合わせや地図との比べ合わせ等の机上研修を実施する等その改善が図られた。

3  四月一二日のガイド班会における決議の際、前記のように原告田辺がその決議事項を提案し要望書としてまとめたとはいうものの、右決議はガイド二〇名中出席した一九名全員の賛成を得たものであり、且つ研修問題がとりあげられた三月一七日および四月六日の段階における班会において、特に原告田辺が意図的に他のガイドらを扇動して乗務拒否をあおったことを認めるに足りる証拠はない。そして、原告両名のほか、本件研修問題に関し、懲戒処分等を受けたものはなかった。

4  昭和四七年四月一四日から同月一八日までの「ひまわり旅の友の会」の四国コースには、原告酒匂に代って訴外古野ガイドが、また同月一八日から二三日までの南紀コースには、当時ガイドの指導にあたっていた訴外遠矢幹子が乗務し、ガイドの乗務拒否によって市交通局の企画した貸切バスの運行が中止されるというような事態の発生は回避された。

5  四国、南紀コースの研修を要望していたガイドら多数の真意としては、研修が実際に行われるまで四国、南紀コースの乗務を拒否するというわけではなく、将来の実施が約束されれば、当面研修がないままでも乗務する意思であった。ガイドらの本件研修の要望は一挙に乗務拒否までを伴う性急なものではあったが、市交通局としても改善の余地ありや否や、改善方法等につき十分検討すべきと思われるのに(前記2のとおり本件処分後若干の改善がなされている)、従来研修なしで四国、その他の九州管外コースに乗務して来た点を重視する余り、徳島交通に対しガイドのチャーターを打診したのみで、本件処分以前の時点で右ガイドらの要望に対して具体的改善策が検討された形跡はない。

(三)  右(二)に認定の事実に照らせば、原告田辺に対する本件解雇処分は、必要な限度を超えて苛酷に過ぎ、合理的な裁量の範囲を逸脱した違法なものというべきである。もっとも、原告らとしては本件研修問題の解決は、労使間の正規の交渉による解決をまつべきであったというべきで、原告らの行動が労使間の問題解決のルールを無視し、性急に乗務拒否という実力行使をもってその要望の実現を図ろうとした点は十分批難に値するが、しかし右の点を考慮してもなお、本件解雇処分が裁量権の範囲を逸脱したものとの前記判断を左右するものとはいえない。

六、原告酒匂に対する処分理由について

(一)  原告酒匂に対し昭和四七年四月三日、同月一四日から一八日までの四国コースに乗務するようにとの本件職務命令が発せられたことは、当事者間に争いがない。

(二)  原告酒匂は、右職務命令がその後撤回され、あるいは職務命令の範囲を逸脱した違法なものである旨主張するので、この点につき検討する。

≪証拠省略≫によれば、原告酒匂から市交通局係員に対し昭和四七年四月七日ころ、ガイド班会の決定があるから四国コースの乗務はできない旨の申出があったため、同月八日営業課長が同原告を呼んで乗務するよう説得したこと、しかし同原告から乗務するとの返事が得られなかったため、営業課長らは訴外吉満および古野ガイドに対して乗務方を交渉し、古野ガイドから原告酒匂が乗務しない場合は代って乗務する旨の承諾を得たこと、営業課長らの右吉満および古野ガイドに対する交渉は、原告酒匂があくまで乗務を拒否した場合を慮ってなされたものであり、同原告に対する本件職務命令が撤回されたものではなかったことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。したがって、原告酒匂の右本件職務命令が撤回されたとの主張は採用できない。

また前記二の3で認定のとおり、従来四国コースについても研修なしで乗務が行われていたことが認められるから、事前の研修なしで四国コースの乗務を命じたからといって、本件職務命令が正当な職務命令の範囲を逸脱したものとも認め難い。

(三)  右(一)、(二)によれば、原告酒匂には地公法第二九条第一項第二号に該当する事由があるものというべきである。

七、懲戒免職権の濫用について

(一)  地公法第二九条第一項は、「職員が同条所定の懲戒事由に該当するに至った場合、懲戒権者は懲戒処分として戒告、減給、停職または免職の処分をすることができる」旨規定している。ところで、右懲戒処分のうちどの処分を選択するかは懲戒権者の裁量に委ねられるが、しかし右裁量は恣意にわたることをえず、当該行為の態様、原因、動機、結果等を考慮し、社会通念に照らし合理性を有するものでなければならない。ことに免職処分は職員たる地位を失わしめるという他の処分とは異なった重大な結果を招来するものであるから、他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要するものというべきである。

(二)  そこで、これを本件懲戒免職処分についてみるに、≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  原告酒匂が、本件職務命令に反してその乗務を拒否したのは、専ら研修が実現されるまで乗務を拒否しようとのガイド班会の決定に従ったものであり、同原告自身は四月六日の班会にも出席しておらず、ガイド班会の右決定につき何ら積極的な役割を果したものではなかった。

2  原告酒匂は、昭和四七年四月七日には市交通局に対し、ガイド班会の決定があるから乗務できない旨を申出、このため市交通局でも同原告が最終的に乗務を拒否した場合の対策を講じており、また乗務予定前日の同月一三日には電話で市交通局係員に対し、「明日休む」との連絡をした。

3  原告酒匂は、市交通局から研修問題について誠意ある回答があれば乗務する心づもりであり、乗務予定日の同月一四日も欠勤の連絡はしたものの、事態が解決すれば直ちに乗務できるよう準備して市交通局に赴いていた。

右認定の事実に前記五の(二)に認定の事実を総合すれば、本件懲戒免職処分は苛酷に過ぎ、裁量権の範囲を著しく逸脱した違法なものというべきである。

八、結論

よって、本件解雇処分および本件懲戒免職処分はいずれも取消を免れず、原告らの本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大西浅雄 裁判官 湯地紘一郎 谷合克行)

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